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仙台高等裁判所 昭和58年(う)119号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七月に処する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤直之、同伊藤俊郎が連名で提出した控訴趣意書及び控訴趣意書補充書記載のとおりであるから、これらを引用する(なお、弁護人伊藤直之は、昭和五八年九月一四日、被告人と被害者との間に改めて示談契約ができ、被告人は被害者に対し見舞金として二〇万円を支払う、内金五万円は当日支払済で、残金一五万円については昭和五八年一〇月から同五九年二月まで毎月二六日限り三万円ずつ支払う旨の約定ができている、と付加陳述した。)。

論旨は、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を併せて諸般の情状を検討すると、本件は、被告人が、原判示第一のとおり、右方に湾曲し最高速度が四〇キロメートル毎時と指定されている道路を、対向車線に進入して時速約六五キロメートルもの高速で進行した過失により、折から対向車線を対進して来た車両を発見し、衝突を避けようとして左に急転把した際、自車を左前方に暴走させてガードレールに衝突させたうえ海中に転落させ、その結果同乗者の沼田曜子(当時二一歳)に対し加療約四か月を要する第四頸椎、第一二胸椎、第一腰椎各圧迫骨折等の傷害を負わせたが、その際原判示第二のとおり無免許で右自動車を運転し、かつ、原判示第三のように所定の報告義務を尽くさなかつた、というのである。このように、本件事故は、被告人の慎重さを欠く無謀かつ危険な運転行為により生じたものであつて、この過失の程度は大きく、被害者の傷害の程度も決して軽いものとはいえず、無免許運転、報告義務違反の道路交通法違反の罪を伴うものであるから、犯行の態様は悪質というほかなく、運転の動機、経緯についてみても、被告人はそれまでに自動車の運転免許を取得したことがないのにもかかわらず、自動車を購入し、深夜被害者を同乗させてドライブに出かけ、その帰りに本件事故を起こし、違反を犯したというのであつて、格別酌むべき点も認められない。それゆえ、被告人の本件所為は厳しい非難に値し、その責任は重いといわなければならない。

なお、所論は、被告人が「同乗者がいてけがをしたので取調べ直してくれ。」と申告した本件事故(原判示第一の罪)は同第二の罪と科刑上一罪の関係に立つが、被告人の右申告は捜査機関により無免許運転及び物損事故の取調べが行われた結果なされたものではなく、意外にも本件が重大な人身事故であつたことを知つて、もつぱら被害者に対する謝罪と悔悟の情から本件事故の発生を申告したものであるから、本件事故と原判示第二の罪が科刑上一罪の関係にあるとの一事をもつて自首の要件を欠くと結論づけるのは妥当でなく、右申告は自首の要件を充足していると解されるので、原判示第一、第三の罪について刑の減軽を求める、というのである。

そこで検討すると、関係証拠によれば、被告人は昭和五七年一二月二六日午前二時三〇分ころ原判示第一のとおりの交通事故を起こしたが、事故直後同乗者の沼田曜子は特に多量の血を流したりしなかつたものの身体がひどく痛いと訴えていたこと、二人は海に転落した自動車をそのままにし、タクシーで被告人のアパートに帰つたが、そこで、被告人は無免許であつたため、沼田に対し同女が運転したことにしてくれと頼んだこと、そして病院には夜が明けてから行くことにし沼田を寝かせたが、同女が痛みを訴えたので一人で病院に行かせ、被告人は出勤したこと、被告人は沼田がけがをしたこともわかつたが、人身事故について警察に届出をしないでいたこと、一方警察は同日午前四時半ころ、一般通行人から本件車両が海に転落している旨の届出を受け、登録番号から車の使用者が被告人と判明したので被告人と連絡をとつたところ、被告人から電話があり、その際被告人は友人の女性(沼田)が運転し、被告人は同乗していた旨申し立てたこと、翌二七日塩釜警察署で警察官の被告人に対する取調べが行われ、被告人は種々尋問されたすえ、やむなく「実は自分が運転していた。同乗者はいない。」と真実の一部を申し立てたこと、そこで警察は被告人が無免許運転をし物損事故を起こしたものとして事件処理をしたこと、被告人は、沼田の治療代を自賠責保険から得るのに人身事故の証明書が必要だつたことや沼田がけがをしたのに同乗者はいなかつたなどと虚偽の申述をしたことについてのかしやくの念もあつて、昭和五八年一月一〇日ころ警察に電話をし、「同乗者がいた。首の骨折等で入院している。その治療代を得るのに人身事故の証明書が欲しいのでもう一度調べ直して欲しい。」などと申し立てたこと、そこで警察が再調査した結果、被告人運転の自動車に同乗者がおり負傷している事実が判明したことがそれぞれ認められる。ところで、原判示第一ないし第三の罪は併合罪の関係にあるから、原判示第二の罪とは別個に所論指摘の原判示第一、第三の罪について自首の成否が検討されるべきである。そして先にみたように、被告人が警察官に対し同乗者がいてけがをしたと申告するまでは原判示第一の業務上過失傷害の罪はいまだ官に発覚していなかつたことが明らかであるから、右申出た点だけをとらえれば、右の罪について捜査及び処罰が容易になり、被告人の改悛によりその非難が減少したといえないわけではない。しかしながら、被告人は、昭和五七年一二月二六日電話を受けた際や翌二七日取調べを受けた際、沼田が同乗していてけがをしていることを申告しようと思えば容易に申告できる機会が十分あつたのに、あえて同乗者はいないなどと虚言を弄し、警察官をして同乗者がいなかつたものと誤解させ、一時的にもせよ、捜査官憲の事件の真相についての認識を誤らせ真実の発見を妨げたものといわなければならない。してみれば、その後二週間程経た昭和五八年一月一〇日頃に右のように真実を申告したとしても、右申告は、上述の経緯に照らすと、捜査及び処罰を容易ならしめるため、捜査官憲に対して自ら進んで自発的に犯罪を申告した場合とはおよそ趣を異にするものというべく、自首制度の趣旨、目的にかんがみれば、情状の一事由とはなりえても、法律上の任意的減軽事由である刑法四二条所定の法律上の自首にはあたらないと解するのが相当である。それゆえ、右申告は法律上の自首であるとして、原判示第一、第三の罪の刑の減軽を求める所論は採用できない。

したがつて、被害者が同乗者であり、原判決当時においても被告人を宥恕していたこと、示談も一応成立していたこと、すでにみたように、被告人はともかくも捜査機関に本件無免許運転による人身事故について申告したこと、本件自動車を廃車処分していること、被告人は若年であり、前科がないことなど被告人に有利な諸事情を十分に考慮しても、原裁判所が、被告人に対し懲役一〇月の実刑をもつて臨んだことは、原判決の時点においては首肯しえないものではない。しかしながら更に、原判決後の昭和五八年九月一四日、被告人と被害者との間で改めて、従前の示談内容を誠実に履行する、被告人は被害者に対し右のほか見舞金として二〇万円の支払義務のあることを認め、内五万円は本日支払い、残金は昭和五八年一〇月から同五九年二月まで毎月二六日限り三万円ずつ支払う旨の示談が成立し、右五万円は当日支払われたこと、被害者は当審公判廷に証人として出頭し、被告人を宥恕し、寛大な処分を求める旨述べていること、被告人も原判決を受け、反省を新たにし、被告人の兄も、被告人の指導監督に万全を期することを約していることなど被告人に有利な原判決後の事情も認められ、これらの諸事情をも上記の被告人に有利な諸事情に併せ考えると、現時点においては、被告人に対しその刑の執行を猶予するまでの情状は認められないけれども、原判決の量刑をそのまま維持するのは刑期の点で重過ぎる憾みがあり相当でなく、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反すると判断される。

そこで、刑事訴訟法三九七条二項により原判決を破棄することとし、同法四〇〇条ただし書を適用し、更に当裁判所において、次のとおり判決をする。

原判決が確定した事実に法律を適用すると、被告人の原判示第一の所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、同第二の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、同第三の所為は同法一一九条一項一〇号、七二条一項後段に該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い原判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役七月に処し、原審及び当審の訴訟費用の一部負担につき、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決をする。

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